山田満知子コーチの指導論

フィギュアスケート界の名伯楽として知られる山田満知子コーチへのインタビューより。http://homepage3.nifty.com/skate/imachikoyamada.html

―選手たちを指導するとき、どのような気持ちを大事にして教えていますか?

山田:私が最初にスケートを教えていたときは一生懸命頑張って全日本などに出しても、やっぱり「東京の人はなんて素敵なの。なんとなく品がいい。コスチュームだって一つ違うじゃない。」と思って、東京に人に一人でも勝ちたいと思って教えてました。
 ですから世界のトップと勝負するなんて考えもしなかった。それが段々いい選手がでてきて、勉強するチャンスもあって世界の人達と対等に戦えるようになってきたわけだけれども私はもとの「名古屋」、そして世界から見れば「東洋人、日本人」っていうのを出していって強くなれる。
  ですから東京の真似をしていたって、アメリカの真似をしたって勝てない。私たちのところは私たち独自で名古屋ならではのもので頑張っていく、いくら上手になっても、有名になってもそれを忘れたらやはり私たちではないのではないのかなーと思って育てています。
  やっぱり礼儀正しくとかいうのはきっちり言いますよ。フィギュアスケートが一位をとっても「あの人すごい意地悪なのよね」って言われるより5位でも6位でも「あの人、いい人だったよね」とか「きれいだったよね」と言われる選手を私は作りたいと思っています。
 しつけの方が私は厳しいかな。ようするに生意気だったり、反抗期の時代に先生に対しての受け答えがよそ向いて「フーン」とやっているような子がいると「ちょっと待った。今の受け答えはないでしょ。私はあなたより年上でしかも先生でしょ。もう少しきっちりしてほしいわ。」というのははっきり言います。
  また「体がきつくても『はい』は言えなくても首を頷くか振るぐらいのことはできるんじゃないの。首振ってくれたらどこがわからないのかと聞いてもう一回説明したいと思うし、ディスカッションしたいと思うので。」と言います。ですから私が一方的に押し付けるのではなく常に選手とお互いに話し合ってやってますね。
ただ小さい子はまだ自分がわからないからがなかなか発言ができないかもしれないですけど・・・。スケートをやるっていうのはほんと人生80年の中の20歳すぎまでの人生の一駒で、スケートをやった後の人生の方が長いわけです。でもこの20年で人間ってすごい作り上げられるし、すごい心に残ることが多いと思うのでこの生き方は大事にしなきゃいけない。だから私はジャンプが飛べないからとかリンクに来なかったからということで怒ることはまずないです。生き方の注意の方が多いですね。
 そういうことをきっちりしておけば、リンクに上がってもいちおうシャキっとすると思う。ですからリンクの上でも汚れたセーターや破れた手袋じゃなくて安くてもいいから洗って、繕っていれば姿勢も正せると思うのです。
 例えばお洋服でもそうですけどお洒落とかして街にでるとうきうきして自然に姿勢も良くなっていく。寝間着とか着るとダラーっとなったりするじゃないですか。リンクでも同じことで身なりなどきっちりしておけば自然に練習する意欲も沸くので、みんなでそういう環境をつくりたいと思っています。
  個人競技だけれどもいいグループを作っていけばみんなが楽しく青春時代を過ごしていく。もちろんうまくいくときばっかりじゃないですけれども、「楽しい」ということはスケートも自分なりに上手くいくことが多い。という生き方を教えながらスケートを教えています。
東京は都会すぎて大勢選手がいるし、大学になってからコーチを変わるという選手もいます。しかしうちはそういうパターンとは違って小さい頃からずっと一緒に泣いたり笑ったりしているのでスケートの技術だけではなくスケートを通じて人生をつくりあげることができる。それを大事に思って指導してます。

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―名古屋ならではのスケートの良さというのはどういうものでしょうか?

山田:やっぱりねー。名古屋もやはり地方だと思うんです。ファッションにしたってそうだけれどもやはり東京が最先端ですよね。でもすごい田舎というわけではない。小さい都会というか(笑)。田舎もんでもないし、都会ものでもない良さでしょうね。
 例えば昔東京には品川プリンスホテルにリンクがありましたけど、みんな、ママ達は外車で送り迎えをし、子供たちが滑っている間はホテルでお茶をするような環境だった。それに比べて、ここは大須観音が近くにあり東京で言えば浅草のようなところで、みんなリンクまで自転車で通ってきていた。今は随分この辺もきれいになりましたが、昔はすぐ下にはたこ焼き屋などの出店が並んでいて、お母さん達が「先生、下でたこ焼き買ってきたから食べる?」というような環境でした。そこから私達は生まれてきた、その強さというものがあると思います。そういうのが決してフィギュアスケートのふさわしいものとは思わないです。でもなんていうのかな。そこから私たちは生まれてきた。そういう下町だったり、ど根性だったり・・・。その強さで私たち東洋人は忘れないで勝っていくべきではないかなというのが私の考え方です。

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普通の生き方をしてきたので、いろんな事がよくわかるかなとは思う。だから東京だったら先生の数が多くて自分本位に勝手にスケートを教える事はできないと思いますが、都会でもない田舎でもない名古屋だったら私のやりたいスケートを教えられることができる。私の好きなグループを作ることができるということかな。今までほんと時の流れに身を任せてあまり無理なくいけたかなとは思います。
ですから生徒にもいつも言います。「遠い先を見ないで」と。「私はオリンピックに目指すの」とかでなくてもっと小さい積み重ねからです。もちろん遠い将来を夢みて進むのもいいかもしれないけれどもそこばかり見ていると疲れちゃう。それが全日本の5番なのか愛知県大会の20番なのか世界選手権の5番なのかはわからないけれども、「自分でできる範囲内のことを少しずつやっていこうよ」というのが私の考え方で、目標が手の届きそうなところにあるからみんな頑張れるのではないかと思います。

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昨今アイドル戦国時代ということでデビューするグループも数多いけれども、こういう気概を持っている人たちはどの程度いるだろうか。